父の魂・12

ハワイ旅行記・・・その3
泣けたぞ戦艦ミズーリ



  ハワイ三日目です。へへへ。今日はねえ、戦艦ミズーリを見に行くんだよオ。
私が旅行先にハワイを選んだ理由がまさにこれ戦艦ミズーリ。満載排水量5万8千トン、全長270メートル、50口径40センチ砲9門のあの巨大戦艦です。それがパールハーバーに係留されておるのです。

  「戦艦ミズーリ号デラックス・ツアー」一人49ドルなり。何がデラックスなのかなとワクワクしてたんですが、普通のツアーでした。あはは。
  
  私は勇ましく一族5人を従えて、ツアーのバスに乗り込みました。
子供には
「大きな船に乗るんだよー。ウルトラマンガイアにでてきたエリアルベースみたいなものなんだよー」
と説明し、いたいけな子供の期待を膨らませます。

「ああ!のりたい!のりたい!」と下の息子はおおはしゃぎ。


  バスはパールハーバーに向けて走ります。ああ、早く着かないかなあ。
このツアーのガイドは20代後半の日本人のお姉さん。旦那さんが海軍の水兵さんだそうで、そのツテでこの仕事をしているんだとか。

さすがツアーガイドだけあって彼女は戦艦のことを良く知ってましたね。立派なものです。そのツアーの会社(海軍の関連会社)では、時々ツアーガイド向けの研修があって、その研修のタイトルが「大和とミズーリの比較」とか「ビスマルクとミズーリの比較」というものだそうです。

なんと素敵な研修でしょう。

私の場合、自己啓発研修なんかを受けるより、このツアー会社の研修を受けたほうが、どれだけ精神がリフレッシュできるか!

  そうそう、日本人の船マニアがよく軍艦ウンチクをたれてガイドさんを困らせることもあるようですよ。いくら話したくても、こういう場合黙って聞くのが紳士ってもんです。

  ツアーガイドのみどりさんは、バスの中でご主人との馴れ初めや軍人の妻の生活などを赤裸々に語ってくれました。これがまた面白くって!ラッキーなガイドに当たったと内心うれしかったです。

どうも彼女は学生時代、チャ髪のアッパッパーで夜の横須賀をブイブイ言わせてたらしいのです。外人と夜毎遊びまくる、まあ、私からすればそういう人たちは最低な日本人の部類なんですがね。でも、このみどりさんは違いました。すごく人間的な深みがあったんです。

きっと、彼女は、ただの遊びから真剣に結婚を考え始めたとき、自分が日本人であることや相手の人生や自分の人生について深く思い悩んだのだろうと思います。
人は悩んで成長するものですね。と、かってに決め付けている私。



  戦艦ミズーリ号に着きました。

思ったとおりの雄姿、想像したとおりの存在感を前にし

かっちょいい!

と、ひたすら感激。そして

「ついに来たよ・・・」

と心の中でミズーリ号につぶやきました。



  まず甲板に上がり、艦首から艦橋を眺めます。大和の46センチ砲もこんな感じで見えたんだろうなあとなぜかしんみりしちゃいました。

第1砲塔の装甲を手でたたきました。もうひたすら鋼鉄!です。反動なんてまるでありません(あたりまえです)。たたいた力が鉄の超重量物体にすべて吸い込まれるような感触です。ひょっとしたらこの中には戦闘室の空洞なんか無くて、巨大な鋼鉄のムクなんじゃないかとかんぐりたくなるぐらいの重厚さです。こんなものが旋回してたなんて信じられません。

  ガイドのみどりさんの説明を聞くうちに、ミズーリ号にはいろんなエピソードがあることを知りました。

進水式の話、特攻機が突っ込んだ時の話、降伏文書調印式の話・・・どれも感激しました。

特に特攻機にまつわる話は、聞いていて目に涙をためちゃいましたよ。ガイドのみどりさんも、なぜかその説明のときだけサングラスをしてました。
ここではそのお話の内容は紹介しません。これからハワイに行く人のために、あえてネタをばらすようなことはしないようにします。機会があったら、ぜひ、現地でナマでお聞きになることをお勧めします。


 小学校3年の娘もこれによって初めて日本が戦争をしていたことを実感して、いろいろ思うところがあったようです。

しかし、5歳の息子のほうは、エリアルベースと聞いていたのに話が違う、ということで機嫌が悪くなってます。この子にしたら単にペンキくさい大きな建物にしか見えないのでしょう。

「つーかーれーたっ」
「かーえーりーたーいっ」

を連発。

しかしおまえ、その、脳みその腐ったコギャルみたいなしゃべり方はやめろ!


  ツアーの最後は艦内食堂で昼ご飯です。日本人ツアー用に和食でした。ミズーリ号の中で和食とは・・・。しかも美味しい! ハワイで食べたお米の中で一番うまかったのがこれでした。やはり軍隊の飯はうまいのだなあ。自衛隊の富士学校で食べたご飯も美味しかったもんなあ。

  ミズーリから降りました。パールハーバーの空を見上げたとき、59年前に確かに日本人が万里の波涛を越えてやってきて、6隻の空母でこの港を攻撃したのだなあ・・・と妙に申し訳ないような、やるせないような、あるいは誇らしいような不思議な気持ちになりました。
パールハーバーという場所自身が、私に彼の過去の記憶を語りかけてきたような気がしました。


  こうして、ツアーの時間は約5時間。素敵な思い出が出来ました、私はね。

しかし、下の子は

「パパ! たいくつだったから、ホテルに帰ったらプールだよ!」

と、いうことで、楽しく、くたくたになりながらプールに入ったとさ。



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まだまだ続く・・・驚愕のハワイ事件。
次回更新を待て!

次回は「国際問題!潜水艦アトランティス号」です。


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