高速電力線搬送通信(PLC)は
短波帯電波天文観測も壊滅させる


 大石雅寿
  国立天文台

初出:月刊ファイブナイン誌 

1. はじめに

 高速電力線搬送通信(PLC)の実用化を認めるか否か。関係者の大きな関心を集めている。電力線に重ねる高周波信号周波数が2-30MHzの短波帯で,電力線からこの周波数の電磁波が漏れてしまうからだ。

 特にアマチュア無線関係者,短波放送関係者,航空無線・漁業無線関係者は大きな懸念を示している。

 天体が発する微弱な電磁波を受信する電波天文学関係者は殺されるに等しいとの感覚を持っている。本稿では,何故に電波天文はPLCに大きな懸念を持っているのか解説したい。

2. 電波天文学の意義

 宇宙では様々な自然現象を通じて電波が発生し,電波は広大な空間を飛び交っている。これらの一部は電波の窓を通じて地上でも受信でき,我々に遥か彼方で起こる宇宙の活動を教えてくれる。

 電波天文観測局では,地上に届く微弱な宇宙からの電波を受信し,その電波に秘められたメッセージを解読することで,宇宙で起こる自然現象の解明を行っている。

 電波天文学は1932年のKarl G. Janskyによる20 MHzにおける銀河起源電波の発見に端を発して発達した。可視光では星間空間中の固体粒子による散乱のために見通せる距離はせいぜい3000光年と言われるが,電波領域では散乱があまり効かないために,銀河系の果てまでも見通すことが可能である。

 電波領域は,人類がわずか70年ほど前に手にした宇宙を観測する「大気の窓」であり,可視光とは異なるエネルギー現象に対応する電磁波放射を観測するために必須の研究手段を提供している。

 13-30MHz帯は大気透過度が高く宇宙を地上から見ることができる電波の窓に対応する周波数帯の中で最も低い部分に相当する。この周波数帯では,木星電波,太陽電波,銀河電波,などが観測対象となっている。

 HF帯の木星電波の観測からは,木星磁気圏で発生する擾乱現象(オーロラ活動)を探る手掛かりが得られる。

 オーロラ活動に伴って強力な非熱的電波が放射される例は,木星の他,地球,土星などにも見られ,磁場を持つ惑星に共通の特性であるが,唯一木星のみが電波の窓を通じて地上から観測可能である。

 また,太陽で発生する爆発現象に伴って広い周波数にわたり電波が放射されるが,その中でもHF帯の成分は,太陽大気外縁部(コロナ)から惑星間空間につながる領域の擾乱現象を反映している。

 したがって,HF帯の太陽電波の観測は,太陽表面で発生した爆発現象の影響が如何にして遠方へ伝播してゆくかを解明する上で重要な鍵となる。

 一方,銀河に広く分布した高エネルギー電子が出す電波の観測からは,銀河系の磁場構造の情報を得ることができる。

 このような基礎的な科学研究の観点のみならず,HF帯の太陽電波データは,宇宙天気予報といった応用の観点からも重要な意味を持っている。

 宇宙天気予報とは,現代社会を支える人工衛星などの宇宙機器・情報通信基盤が宇宙の擾乱に対して脆弱であることから,太陽からの擾乱の伝播を的確に予報することを目指したもので,擾乱が予想される場合は人工衛星の監視運用体制を強化する,軌道変更を控えるなど,既に実用にも供されている。

 わが国では,東北大,兵庫医大,高知高専などを中心にして,HF帯における電波天文観測が定常的に実施され,その観測データに基づいて多くの天文学的な研究成果が生み出されている。

3. 負のS/Nでどうやって観測するのか?

 天体が発する電波は極めて微弱である。携帯電話を月面に置いたとしたらその発する電波は全天の電波源のトップ10に入るほどである。しかし,その電波が運んでくる情報は,宇宙の始まりのみならず宇宙の未来に関する情報まで含んでいる。

 宇宙からの電波は宇宙郵便局が配達してくれる貴重な手紙なのだ。人類にできることは,その微かな信号を耳を澄まして聞き取り,そして私たちを生み育んだ宇宙に関する事実を素直に理解することだけである。その意味では,電波天文学にはお金では買えない価値があると言ってもよいであろう。

 図1に10GHz近辺以下における代表的な天体からの信号強度,銀河雑音(Galaxyと書いてある線),そして勧告ITU-R RA.769が定める電波天文観測の干渉閾値を示す。


 図1 10GHz近辺以下における代表的な天体からの
    信号強度,銀河雑音,勧告ITU-R RA.769が定
    める電波天文観測の干渉閾値


 電波天文はHF帯に2つの一次分配を受けている。13.36 - 13.41MHzと25.55 - 25.67MHzであり,それぞれの帯域における干渉閾値は電界強度に換算すると,それぞれ-48.2 および-52.4dB(μV/m)である。電波天文学における信号強度(フラックス)の単位はJy (Jansky)=10-26 W/m2/Hzである。

 
 さて前章で述べた天体が発する電波強度が,背景雑音である銀河雑音よりも弱いことがお分かりいただけるであろう。また,干渉閾値も銀河雑音より何桁も低い。

 即ち,電波天文で受信する信号のS/N比は一般的には負なのである。通信の常識に基づけば,負のS/Nとなった場合信号を認識することは極めて困難と考えてしまうであろう。では,電波天文ではどうやって負のS/Nの信号を検出するのだろうか?

 ここで着目するのが電波天体からの信号がほとんど時間変化しない事実である。一方ランダムな雑音を時間平均すると,その平均振幅は限りなくゼロに近づく。天体からずれた方向では宇宙背景放射や銀河雑音による信号のみが受信されるが,天体方向ではこれにその天体からの信号が重なっている。

 実際には,天体方向と天体から少しずれた方向で観測を行い,その差分をとり,これを長時間積算する。また,干渉計のデータ処理法を使い,フリンジ相関をとって目指す天体からの電波強度を得る方法も用いられる。

 電波天文で上記のような技術があるなら,PLCからの干渉も除去できるのではないかと思う向きもあるかもしれない。

 それは不可である。宇宙背景放射や銀河雑音は,無偏波かつ無相関であるため差分を取ることが有効。しかしPLC研究会における座長提案にも明確に記述されているように,水平に張られた電力線からの漏洩電界は垂直偏波が卓越している。無偏波という除去の前提条件が成り立っていないのである。

4. 遠方のPLC群による累積効果


図2. 東京に出力1Wの送信機を置き,周波数13.5MHz,
    射出角15°,受信帯域幅10kHz,2005年8月UT
    12h (JST 21h)の場合の地球表面における電界
    強度(dBμV/m)


 電波天文では極めて微弱な信号を研究対象とするため,観測所は背景雑音の極めて少ない(静かな田園地帯に対応)場所に設置される。では,観測所の周囲にPLC機器を設置しなければ電波天文観測は保護されるのであろうか?

 これを見積もるため,PLC放射点から遠方における電界強度を勧告ITU-R P.533に基づいたソフトウエア(http://elbert.its.bldrdoc.gov/pc_hf/hfwin32.html)を用いて求めてみた。例として周波数13.5 MHz,ビーム射出角15°,受信帯域幅10kHz,時刻UT12h,2005年8月とした場合を図2に示す。

 十分遠方からみた場合,狭い地域に多数の送信設備が存在する場合,累積効果は対象送信機出力を一点に集中させることで見積もることができる。遠方の電界は全送信電力(遠方の電界)に比例して上昇するが,分布は相似である。

 容易に理解できるように,複数のPLCシステムによって1W相当の電力が放射された場合,数百キロ以上離れた地点で-20(dBμV/m)を越える電界強度が生まれる。これは電波天文等の干渉閾値と比べると30dB以上大きい値である。

 実際には,PLCシステムは全国に展開されることが考えられる。多くは都市部に存在するであろうから,上記のような電界強度の重ね合わせとして漏洩電界が日本領土内のみならず1000 km以上離れた地点でも測定されることが予想される。つまり電波天文観測の保護は極めて困難となる。

5. おわりに

 PLCに対しては無線LAN, c.LINKといった代替手段が存在する。また,国際的にみても撤退が相次いでおり,電波法を遵守しながら運用しているアマチュア無線,短波放送,航空無線そして電波天文等に大きな打撃を与えてまでも導入を急ぐべきものではない。

 万が一導入されたとしたら,重大な問題が起きていないかどうか関係者はしっかりモニタし,問題があれば各地方通信総合局などに通報し,是正を求めることが肝要である。本当の戦いは実はこれからなのかもしれない。

 図1は東北大学大学院理学研究科 小野高幸教授にご提供いただきました。ここに深く感謝致します。